コラム

果たして音楽は「音を楽しむ」なのか?

こんばんは、よしたく先生です。

楽器や歌をやっていると、きっとどこかで「音楽は『音』を『楽』しむものだ。だから楽しんでやろう」といった意味合いの話を聞いたことが、そして言ったことがあるかもしれません。

言いたいことはとても良く分かりますが、僕はこの表現が好きではありません。

というのも、楽しむことが目的ではない音楽もたくさんあるからです。

歴史的に見れば、音楽は様々な使われ方をしてきました。分かりやすい部分でいうなら、教会で祈りのために歌われていたり、儀式のために歌われたりしていました。

こちらはグレゴリオ聖歌です。カトリック教会で、典礼の時に歌われていました。

そしてこちらはサンヒャンという儀礼の際に歌われていたケチャです。男だけで「チャッ」と繰り返すものなんですが、トランス感がすごいです。

他にも、労働促進や信号伝達のための役割もあります。次の動画はトーキング・ドラムの演奏です。遠くの人にメッセージを伝えるために様々なパターンで叩きます。

僕が専攻してきた現代音楽も、楽しむというよりその音の裏にある思想を読み解く部分が強いです。考える音楽とでも言いましょうか。次の動画はスティーブ・ライヒの曲です。

つまり、音楽の全てが楽しむものではないのに、十把一絡げにそう語らないでほしい、ということです。

練習は大変ですし、その過程全てが楽しいわけではないですが、楽しくないと思っている人が「楽しまなくちゃ」と思い込むのはとても悪い自己暗示です。もはや呪いです。

それと、自分より音楽が「できる人(=指導者や経験年数の長い人)」が思考停止してそう言っていることもあります。

それは成功体験や固定観念から、もしかすると知識不足なのを隠すために言っているのかもしれません。

指導者の言葉を鵜呑みにするのではなくその裏にある意図を読む必要がありますが、初学者にとってはそれも難しいんですよね。

「音楽は楽しむもの、でも今はとても辛い」と板挟みになってしまって、音楽から離れた人がどれだけいるか。

人が音楽に向き合う姿勢はそれぞれですから、正直楽しんでも、そうでなくてもいいと思います。

結局、この表現は単なるこじつけでしかないですからね。Musicを訳した人がそんなことを考えていたのかっていう話です。この話はソースが見つかったら追記しますね。

参考文献
片桐功著「はじめての音楽史」音楽之友社。

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